作業療法士taku’s blog

作業療法士をしているかたわら心理学を中心とした本を読みまくってます!このブログを読んでくれる人が人生を送るうえで,ヒントになる知識が必ずこのブログにはあります。

残業申請しにくい、いつも損している、そのままでいいの??

残業申請がしにくい、いつも自分が損してる、そのままで良いの?

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残業申請と集団について

事実集団を乱すような人物に対して「いじめ」のような行為をすると人は快楽物質が出るんだよね。まさにいじめは本能。

 

今日は残業申請とかついつい周りの目が気になること、集団と自分の気持ち、どう折り合いをつけるべきかという点についてはなして行きます

 

残業してるんだけど残業申請できなくてサービス残業している、とかそれに関わらず会社で働いていると何かと自己犠牲を払って働いている人多いと思います。

 

皆さんの気持ちとしては、本当は残業申請したい、、でも周りのみんなはサービス残業を当たり前のようにしているだから、残業の申請はし辛い。

 

上司に申請の書類も出しずらい、、ってことが多いと思うんだ。

 

じゃあずっと自己犠牲を払ったままでいいのかな??良くないよね、、自己犠牲が私の美徳で生涯自己犠牲に命を燃やしたい、、そんな人は別としてね。

 

 

今日はなんでサービス残業してしまうのかという点と周りの目は気にするべきではないっていう話、ベストセラーの嫌われる勇気ってやつだよね。その視点で話せていければと思います。

 

 

 

はじめになんで周りの目を気にしてしまうのか、、日本人は特に多いよね。

 

中野信子先生の著書「人はいじめをやめられない」から持ってくる話なんだけど、力の弱い人間がなぜこれほどまでに世界中で繁栄してきたか、、それは集団で協力して生きてきたからなんだよね。

 

でも中には集団を乱す人物も一定数いるんだ。

 

集団を乱す人物というのは他の人間は生命の危機を感じるんだよね。良い集団を築いて維持することで自分の安全を確保しようとするからね。

 

で、、その集団を乱そうとする人に対してその集団から省こうとする本能が働くんだ。

 

これがいじめに繋がるんだよね。事実集団を乱すような人物に対して「いじめ」のような行為をすると人は快楽物質が出るんだよね。まさにいじめは本能。

 

周りの目が気になるというのはこの本能から来ているんだ。周りの人がサービス残業をしていて自分だけが残業申請をする。そうすると自分は集団に対して異質の存在になるんだよね。

 

異質の存在になるということはいじめられる可能性が高くなる。本能レベルでいじめられるのを恐れているんだ。だからこの問題は結構深くて難しいものなんだ。

 

 

 

 

ところでいじめって子供だけのものじゃないの?って思う人もいると思うんだ。確かに僕らがイメージする「いじめ」って子供とか中学生高校生に多いよね。

 

というのも理由があって。僕ら人間は小さい時は本能を司っている脳がよく働いているんだ。

 

でも成長するにあたって人間としての脳が少しづつ育っていくんだ。

 

いじめをするというのは本能的な脳の働きだから、人間としての脳が未発達な子供の頃はいじめが多いんだよね。

 

でも大人になるにつれて人間としての脳、道徳的な脳が育つから、明確ないじめっていうのは少なくなるんだ。

 

でも決してなくなるわけではないと僕は思っている。いじめまではいかなくても人間関係において明確な力の差で下の人が生きて行き難いとか社会を見渡すと当たり前のようにあるわけだよね。

 

 

 

嫌われる勇気(アドラー心理学

集団といじめに関して話してきたんだけど、ここからは逆説的なんだけど周りの目を気にしない大切さというのも話していくね。

 

少し前に「嫌われる勇気」という本がベストセラーになったよね。

 

ダン先生実は嫌われる勇気読んだことないんだけど、、でも嫌われる勇気というのはアドラー心理学をベースに書かれているんだよね。

 

アドラー心理学には「課題の分離」というものがあるんだ課題の分離というのは自分の課題は自分で解決しなければいけないということ。

 

自分が何かを行動するときに相手にどう思われるか心配、、という人多いと思うんだけど相手が自分を見てどう思うかは相手の課題なんだ。

 

だから自分が何かをするときに相手の目を気にすることは相手の課題に干渉しているということになるんだ。つまり、相手の顔色を伺って行動や発言をする必要はないということ。

 

これ確かにその通りなんだよね。物事に良し悪しはないから自分が何をしようと「良い」と認めてくれる人もいれば「悪い」と責める人もいるだから行動する前に考えて考えて起こした行動でも良いという人もいれば悪いという人もいる。

 

逆に行動する前に何も考えなくても良いという人もいれば悪いという人もいるんだ。つまり行動する前にうだうだ考えるのは時間と労力の無駄なんだ。

 

 

 

具体的にどうすれば良いか??

これを残業申請に当てはめると自分がバンバン残業申請したとするよね。

 

それを見て「なんなんだあいつは自分だけ得しやがって」って思う人もいれば「勇気があってすごいな、自分も残業申請しようかな」っていう人も出てくるんだよね。

 

で、2つの側面からダン先生話してきました。集団から浮いてしまうことでいじめのターゲットになりやすいという点と、相手の目は気にしなくても良いという面子の二つを聞いてこの動画を見ているあなたは結局どうすれば良いんだと思うことでしょう。

 

集団を気にするべきという考えと相手の目を気にしないべきというのはどちらも的を得ている良い理論だと思うんだよね。

 

でもこの二つは対立しているような関係にあるから、自分がどうすべきかはケースバイケースというのが正直なところ。

 

集団から明らかに浮いてしまうとその集団に居ずらくなるし、自己犠牲をしてやりたいことができないのも良くないよね。

 

つまり良いあんばいすり合わせが必要なんだよね。集団に馴染みつつ、自分の行動をする。どうしたらそんなことが出来るか、、、それは「メタ認知」なんだよね。

 

 

 

 

 

メタ認知というのは自分を客観的に見る力のことなんだ。

 

なんで客観的に見る力が大切かというと客観的に見ることで、自分は今集団に合わせ過ぎていないか、もしくは自分のやりたいことをし過ぎて手段から浮いていないか知ることが出来るんだよね。

 

それを知ることで、もう少し、自分の意見を通してみようかな、、とかもう少し集団に馴染んでみようかなとか判断がつくわけなんだ。でどうしたらメタ認知がつくかというと日記をつけること。

 

ただの日記ではなくて自分の感情が動いた出来事と、その時の感情を書いていくんだ。自分の感情って紙に書かないと客観的に見れないんだよね。

 

それは感情を感じている時点ではそれは主観的な体験だからね。だからこそ紙に書くことで自分自身が客観的に見えるんだよね。

 

 

 

今日は集団に居続けてどうしていけば良いかという話だったんだけど、この集団は合わない、、と感じたらその集団からサヨナラするのも1つのすべなんだよね。

集団からサヨナラするについて↓

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今日の記事まとめ

集団から浮くといじめられやすい、でも相手の顔色を伺うべきではないという考えもある。客観的に自分を見てみて、無理のないように自分の行動を調節していくという話でした。

 

参考テキスト紹介♪

 

ヒトは「いじめ」をやめられない (小学館新書)
 

 

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ベスト新書)

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